ボタリング史跡めぐり?

今回は史跡めぐりのつもりだったが、まずは、
石塔の五重塔があるとかいう寺に行く。
探してみたけど・・・・
ない。
どこにも無い。
どんなんじゃ〜。
と吠えてみても寺の中では葬式の真っ最中。
じゃましたら死人が起きるな。
まわりを見渡すとなんかオブジェがある。

(なんか変なオブジェ)

(筒を触れば良いらしい)

(うす〜く四国の地図がある)

(西永福寺)


う〜ん。つまり四国八十八箇所って事ね。
こんなんで、四国八十八箇所を回ったと言い張られたら、実際に回っている人に失礼だと思うが?

次は大神宮という名の神社に行こうと思ったが、まあ何も無いので、そのまま無視して、
次は海老川。
ここには、船橋という名称の由来となった橋がある。
実際はこの川に船を並べて橋にしたので船橋となったらしいが、
大体、このあたりにその船橋があったとの事。

(海老川橋)

(船のオブジェがくっついている)




(この辺の街灯)

(よ〜わからん時計)


そのまま海老川脇を走る。
突然、前からきたアベックの男性の方が”お〜。モールトンだあ〜!”と叫んでいる。
ほ、ほ、ほ、船橋でも知っている人が居たとは。
川脇から線路の下を抜けて、メインストリートに入り、そのまままっすぐに走る。
次の目的地、飛ノ台貝塚へ行く。
たしか、中学校の敷地内にあると聞いていたけど。
中学校が解らない。
探しているうちに少し行きすぎたらしい。
来た道を戻って左を見ると高台になにやら学校らしき建物が見える。
もしかしてこれ??
その学校へきつい坂道を登る。
学校へは入らずに、回ってみる。
奥さんは坂を登りきれずに押している。
非力なやつめ。
ぐる〜と回ったら、貝塚の建物を発見。三階建てで、小さな建物。
入場料は100円。さすが行政。安い。
人が少ないせいか、受付のおじさんはとても丁寧。
説明用の無線機を貸してくれて、さらにコインロッカーの位置まで教えてくれる。
ちなみに、私、こういう小さくて人がこないような博物館はとても大好き。

(飛ノ台遺跡の建物)

(館内の案内)

(年表)

(昭和7年に総武線が電化したらしい)


この貝塚は縄文前期(約7000年前)で部落が使う炉穴という物があったらしい。共同の炊事場。

(炉穴)

(こんな感じで使う)




(この辺りから出てきた土器)

(地域別の土器の種類)

(底が平らな土器が目立つ)


初期の頃なので、まだ火炎土器には、なっていないらしい。
実用性を考えるとこっちの方が良いと思うけど・・・・・


(何に見えますか?と言われても・・)

(ブタだわな)



ど〜みても、ブタだよね?


この博物館にはちゃんと喫煙コーナーもある。

(喫煙コーナーのドア)

(ほたる族?)

(喫煙コーナー)


確かにホタル族だった。
ちょっとかなしい物があるかも。

(男女一緒の埋葬)

(平成5年に見つかったらしい)


昭和7年(1931)にこの貝塚が見つかって男女のこの埋葬が見つかったのが平成5年(1993)。
つい最近じゃん。


(船橋で現在までに発見された遺跡の場所)

海が近いせいか、あちこちに遺跡が見つかっている。


(出てきたいろいろな小物。御神体もその中に・・・・)

この時期にはすでに御神体の文化もあったようだが・・・

(古代犬 飛丸)

(縄文文化は犬を埋葬する)

(3頭一緒に埋されていたそうな)

(こんな形で埋葬されていたらしい)



縄文文化は犬を埋葬する文化だったらしい。
犬と人が一緒に埋葬されていたケースもあったそうだが、
つまりそれは、それほど、犬が人の生活に大きく係わっていたという事でもある。
しかし、狩猟で犬を使うというのはよく解るが、このあたりだと狩猟よりも魚釣りだと思うが?
網を引く時にでも犬が協力したのだろうか?
ちなみに、弥生文化は犬を食っていたらしいが、縄文は食った後はなかったらしい。



(貝の利用法)

中山法華寺で土台のまわりにつかっていたらしい。

この、飛ノ台貝塚の建物の内部には、竪穴式住居の再現もあった。
まあ、だからどうした。って事でもあるが・・・

色々と中を色々と回ってトイレに入って、一息。
こういう博物館ってトイレも奇麗だから好きだ。

しかし、これでは維持費の方が高くて大変だろうに。



(近所家のの庭の木の花)

外に出たら、貝塚の一部が保管されていた。
散々見たので次へ行こうかと思ったけれど、けっこうアチイ。風も異様に強い。
次の博物館へは時間的にもきびしそうなので、ムリはしないで結局素直に帰る。

今回の目玉。
1,船橋でもモールトンは自慢ができる。
2,ブタにしか見えない作り物。
3,最近発掘された人骨。


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